自分の住む東みよし町には、様々な形の奇岩が水面に浮かび、ホタルや桜等が季節を彩り、青空や夕陽や星空が美しく反射する絶景の美濃田の渕があります。
その中に時代と共に忘れられたコンクリートと鉄骨の塊があります。今回はこの構造物について話をしていきたいと思います。
昭和二十年代、吉野川を渡る交通手段は渡し船が主流でした。ですが、渡し船では大きい荷物を乗せることができず、危険が伴っていました。
当時の町の人々は、その問題を解決する為に川に橋がかかることを願っていました。
そして、終戦後この不便を解決するべく、森金次郎氏が立ち上がり、美濃田の渕に散在する岩石に橋脚を建て橋を架けることに決めました。
昭和二十九年工事は開始され、そして町の様々な人が立ち上がり、皆が一つの願いの為に力を合わせ工事に協力しました。
しかし、中心となっていた森金次郎氏が工事途中に急死し、補助金も思うように使えなくなり、資金不足に陥り工事は中断することとなりました。
後に残ったのは多額の負債とあのコンクリートと鉄骨の塊となりました。
当時の人々の無念の負の遺産としてみることもできますが、自分には皆が一つの目的の為に力を合わせてできたこの工作物はこの町の願いを形にした何よりも美しい象徴だと思っています。
この象徴はこれから先もずっと残り、過去と今そして未来にまで語られる架け橋になっています。
byガッチャ