昭和52年春、貞光工業高校建築科を卒業した。
建設会社の建築工事現場管理者として8年間勤め、その後独立
アパートの一室、3畳一間から飛び立った。
その朝、不安で目の前には雲しか見えなかった。
あれから32年どの位、飛んで来たか
最初は妻と二つの翼だったけど、今は三十の翼で飛んでいる。
(好きな歌から)
NHK朝ドラ主題歌「365日の紙飛行機」の一節
その距離を競うより
どう飛んだか
どこを飛んだか
それが一番大切なんだ
今まで、何人の人と出会い別れてきただろうか
その人達に最善を尽くせただろか。
悩みもした、間違いも多くした、でも一生懸命だった。
今まで飛んで得た知識と見識と判断、そして反省を
次の若者へコンパスとして残そう。
40年間飛び続けると翼もガタ付いてきたが、まだまだ現役。
後、どの位飛べるか分からないが富士の山を望むこともできた。
このガタ付いた翼、夕日が似合ってきたような気がする。
次の翼にバトンを渡すまで、頑張ってもう少し飛び続けよう。
ぴかぴか親父!